Fate

[FGO]徴姉妹(ハイバー・チュン)・①[解説・考察]

FGOのイベント水怪クライシスで登場。記事作成の1月も前ですね

今更ですが、キャラクターの理解を深めたい、

ライター陣がどんな思いでこのキャラクターを創造したのか、

そんなことが気になっている人の一助になればと思って記事を書きました

は史実に近い部分で徴姉妹の人生を追っていこうと思います

生まれ

徴姉妹は現在のハノイ市メリン県で生まれたとされます。

ハノイは現在では商業と文化の中心として栄え、観光地としても有名な場所です。

生年は不明ですが、おそらく紀元前80~60年の間だと思われます。

カエサルたちと同年代で、西側ではローマが権勢を誇っていた時代でもありますね。

そして徴側と徴弐は貉将(ラクトゥン)の娘として生まれました。

貉将(ラクトゥン)とは、当時のハノイを治めていた土豪の軍事将軍のことです。

つまり徴姉妹は、いいところお嬢さまとして生まれたわけですね。

そして貉将(ラクトゥン)の娘であることが、徴姉妹の人生に大きく影響していきます。

背景事情

ここから”徴姉妹(ハイバー・チュン)の乱”が起こるまでの背景事情を説明したいと思います。

・ベトナムの成り立ち

紀元前3世紀ごろ、現在の中国・広西省の南部からベトナム北部にかけて、定住していた集団をとりまとめ国の体をなしていました。

その集団を貉越(ラク・ヴェイト)といいます。

その集団の王は貉王(フンヴォン)と言いました。(もしくは雄王とも書きます)

日本で例えると、弥生時代にあったバラバラの集落が、卑弥呼をトップに据え、邪馬台国として1つの集団として結束したような感じでしょう

そして貉王(フンヴォン)は貉候(ラクハウ)とよばれるモノたちに土地を分け領土を治めさせました。

貉候(ラクハウ)は所謂、文官に当たります。

また王の親族たちは貉将(ラクトゥン)と呼ばれる、軍事担当の将軍となって集落を治めていました。

この貉越(ラク・ヴェイト)体制のなか、農業や文化を発展させていきます。
これが現在のベトナムのアイデンティティを形成したといわれています

徴姉妹は、ベトナム黎明期に存在した王族の血筋であるということですね

・漢との衝突

貉越(ラク・ヴェイト)体制は秦(紀元前220年ごろ)に攻められ崩壊します。

しかし間接統治の形式をとったため、貉越(ラク・ヴェイト)の体制はそのまま残ります。

侵略されても自治制を尊重されたわけですね

しかし漢の時代(紀元前111年ごろ)に入ると、情勢が変わっていきます。

貉将(ラクトゥン)や貉候(ラクハウ)といった民生・軍事組織に、漢の行政組織を適用するようになってきます

漢字や儒教や農業技術、皇帝を天子として崇めさせるなど、漢の同化政策も進みます。

こうして漢の支配体制がだんだん強固になっていくわけですね

ベトナムは漢の中央から見れば僻地で、皇帝たちはベトナムへの関心が薄かった。

漢から送られてきた官僚はそれをいいことに、民衆を顧みない政治をおこなったとされています。

具体的には、「貢物、動物の生け捕り、人頭税、土地税、建設工事の強制労働」などです。

漢のこうした政策に不満が募りしばしば民衆の反乱を起きていました

こうして漢とベトナムとの溝は深まっていきます

長くなったので今回はここまで

次回は徴姉妹の反乱から終幕までを追っていきたいと思います

参考図書:物語 ヴェトナムの歴史